お願いの代わりに

先日、佐藤伝さんという方の本を初めて読みました。本屋で見かけて、何故だかとても気になって手にとってみたのです。

その本の中に「神様に手を合わせるときの大切なヒント」として、「感謝を口にした人にはさらなる喜びがやってきますが、お願い事をしていると、その願いはなかなかかなわない」ということが書かれていました。

どういうことかというと、例えば「お金持ちになれますように」とお願いした場合、神様は「よし分かった。来年もお金持ちになれますようにと願えるようにしてあげよう」と判断し、お金持ちになれない。「お金が循環しています。ありがとうございます」と感謝をすれば、その感謝できる状況を叶えてくれる、という訳なのです。

成る程なぁ、と思ってから数日後。セッションの際にある方がふとこんなことを口にされたのです。

それは、「自分がこうなりたい、こうしたいといった願いが具体的な時にはお願いがしやすいけれど、こうなりたい、という目標が具体的でない場合、一体どうしたらいいのだろう」といったようなことでした。

佐藤伝さんの本が頭に浮かび、「お願いではなくて、感謝をしてみると言うのはどうでしょう?」と提案してみました。

自分が女性を存分に味わって生きていくにはどうしたらいいのだろう?というのがその時その方が取り組んでらしたテーマでしたので、「例えば、『女性として生まれてこれたことに感謝します』とか、そんなのはどうですか?」とお話してみると、「ああ、その方がお願いするよりしっくりきます」と仰られて、早速試してみることにしてみたようです。

神様に希望を伝えてお願いする、ということに私自身どうしてもしっくりこないものがありました。お願いをすることで、そこに「取引」が発生するように感じるのです。

「お願いだから叶えてください」から始まって「何故叶えてくれないのか?」という焦りや怒り。そして「これだけお願いしているのに叶わないなんて、これは自分に落ち度があるからではないのか?」という気持ち。「それならこうしたら神様は願いを叶えてくれるのではないか?」と条件付けをしてみる。まるで神様との間で綱引きをしているようです。

けれども「感謝」を神様に伝えた場合、そこには「取引」が発生しないように思います。そして不思議なことに「今自分が手にしているもの」に意識が向いていくのです。それとは対照に、「お願い」は「無い」ことに意識が向いている状態だとも言えるのではないでしょうか。

自分が持っているものに目が向くと、余裕が生まれてきます。余裕が生まれてくると、更に手にしている多くのものに気が付いたりします。

「今」をどういう視点で捉えていくか。そんなことが「喜び」を増やしも減らしもしていくのですね。
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by sweetflowers | 2008-02-02 20:59 | 日々のあれこれ
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