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自分を優先させていくもの

本当に申し訳ないくらい久々の更新となってしまいました。(ごめんなさい!)
ここしばらく忙しかったり、自分にとって色々感じるものがあったりでなかなかPCに向かえなかったのでした。そして、一昨日、昨日といろんなしがらみを振り切って(大袈裟な!)一人旅に出てしまった私でございました。

今回は以前にもお世話になった作並温泉の「湯づくしの宿 一の坊」さんにまたまたお世話になりました。「一人でのんびり」を叶えてくれる貴重な宿でございます。
そして、行くぞ!と決めたその日から、本当に笑っちゃうくらいに予定の日をめがけて様々な依頼が入ってきて、「行くのを止めようか」と思ったくらい。ひとつ断って日程をずらしてもらって「やれやれ」と思っていると、また新たな依頼がその日に、という具合。それでもどうにかやりくりをして、多少のお願いを周囲の方に依頼して、無事旅立ったその日。本当に心から「自分がここに来ることができた全てのことに感謝しよう」と唐突に感じたのでした。
それは、快く送り出してくれた周囲の方に対しては勿論、ここに来る為に色んなやりくりをした自分や、当然必要となる旅費を得られた現実も含めて様々な要素がその背景に実は潜んでいて、その全てがあってここにいる。そのことに感謝をしたいと思ったのです。

自分のやりたいと感じたことをやるのに、「わがままかな?」と後ろめたさを感じた部分もありました。そう感じている人もいるだろうな、と思う反面、「いいですよ。ゆっくりしてきてください」と快く言ってくださる人もいる。休みを取る、ということだけではなく、本当に様々な面でそれと似たようなことが起こる度「わがままはいけない」と後ろめたさを感じる自分がいるのですが、それでも「何より自分を優先しよう」とつい最近心に決めたのでした。それは、「何よりも自分を優先してくれる存在は自分しかいない」と思ったからなのです。

今回の旅では、引き止める力だけではなく、押し出してくれる見えない力も感じることができました。思い切って一歩を踏み出した後は、周囲や自分も含めた全ての力に心からの感謝を感じていく。そうしたことを繰り返してくことで、自分の中に軽やかさが戻ってくるのではないかしら?そんなことを感じた出来事となりました。
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by sweetflowers | 2005-06-25 09:13 | 日々のあれこれ | Trackback(1) | Comments(1)

自由な感情表現

4月から月に1回真木さんのところでFESの研究会に参加してきました。メタフローラパスというFES独自の体系に沿って、3ヶ月間かけて各ステージごとのテーマに沿ったエッセンスを自分でも飲みながら、理解を含めていくのです。第1回目である今回は「感情」をテーマとしたステージを扱っていますが、私は以前より「日本人である自分にとって果たして感情を表現するというのは一体どういうことなのだろうか?」「本当に感情を自由に表現できることが癒しの過程で絶対に必要なのだろうか?」と疑問に感じていた部分がありました。なんでも率直に話していくことだけが本当に感情の表現なのだろうか?

そんな疑問を感じつつ、2ヶ月半が過ぎたのですが、ようやくながら自分なりにこの疑問に答えを見つけられたように感じています。

私自身、感情の問題はとても難しいと感じていて、それは感情にはその人の価値観や、あるいは自分の存在価値とも結びついていくものがあると感じていて、それが故に変化が起こる際の抵抗や恐怖感はとても大きいのではないかと自分自身を振り返っても感じているからなのです。でも、日本人が感情の表現を抑える時。その時は決して自分の感情表現を恐れているだけではなく、相手がこの感情を受け止めるだけの準備ができているだろうか?という思いやりの心も隠れているように感じるのです。(本末転倒になっていることはあるにせよ)

そして、相手とそして何より自分自身を信じられた時に初めて、大袈裟でもなく、抑えたものでもない、自分にとって無理の無い感情表現ができるのではないかと思います。

 「自分の感情は信じるのに充分値するもの」

そう思えた時が、自由な感情表現の始まりだろうと感じていますし、結果的に表現をしてもしなくても、そんな確固たる物を自分の中に生み出していくことが、このステージでの目的のひとつではないかと、第1回勉強会の最終回を迎えるに当たって感じているのでした。
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by sweetflowers | 2005-06-14 11:35 | フラワーエッセンス | Trackback | Comments(1)

痛みを飛び出して

おとといのことですが、友人とのメールのやり取りで、話が変に展開してしまい喧嘩(というか一方的に誤解されたような気も)となってしまいました。メールってこういう変なことになり易いのに、「ああ、ここで電話しないとややこしくなるな」と思いつつ、こういう時って何故かそれをやらずに最後まで進んでしまうのですよね。文字の上に自分の感情を乗せて読み取ってしまうから、声を聞いてもらうのが本当は一番なんだと思います。
そのやりとりの中で私にとってはとっても酷いと感じられる言葉が書いてあって、読んだ時には大人ながら涙がにじんできてしまいました。私はあまり人間関係で酷い目にあうことが(ましてやプライベートでは)あまり無いので、その衝撃は結構大きかったのです。(落ち着いた今なら「なんだそりゃ」と言えるのですけどね。)

それから2日間、仲の良い信頼している友人達に話を聞いてもらいながら、或いは自分ひとりの時間に、一体何が自分の前で起こったのかを追い続けてみたのでした。
そして様々なことに気が付いていく中で、ひとつ、子供の頃に経験したことで同じようなことがあったことを思い出しました。そのことがきっかけになって、「自分は土台の合わない人と一緒にいようとしていたんだ」ということにようやく気が付きました。合う、合わないは様々ですし、仮に合わなくても適度に距離を取ってお付き合いをしていく、という方法もあると思います。でも、今回の私は近付き過ぎてしまったな、と感じたのです。それはお互いに居心地の悪い関係だっただろうと思うと、こういう出来事が起きて少し距離を取らざる得なくなったのは丁度良かったのかも知れません。

ところで、今回のことで思い浮かんだエッセンスがあります。「ゴールデンヤロー」というノコギリソウのエッセンスで、傷付きやすいが故に人とは距離をおいて付き合うといったタイプの方に使われるエッセンスです。その名の通りのこぎりのような葉を持つ花ですが、その茎はすっきりとまっすぐに伸び、その先にトランポリンを連想させる小さな黄色い花がふっくらと繋がっています。かさぶたのようにも見える花ですが、でもこの花を見ていると、痛いものから逃れようとする先には実はとても柔軟な心が潜んでいるように思えます。その柔軟さを思い切って外に広げていくことで、痛みから飛び出していけるのかもしれません。
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by sweetflowers | 2005-06-12 00:40 | フラワーエッセンス | Trackback | Comments(0)

自分の質量

数日前に、サンダルを買いました。お店で一目ぼれして買ったウェッジソールのサンダルです。すっごく嬉しくてウキウキしながら履き始めたのですが、しばらくしてあることに気が付いたのでした。

 意外に重いね・・・。

よく考えてみれば、足に錘をつけて歩いているようなものなのでした。

とは言いつつ、それでもがしがし歩いていると、更に気が付いたことがあるのです。

 いつもよりも足に意識が向いているな。

重さを感じさせることで、足が主張しているようにも感じられました。

ところで、数年前にとある方がメールに書いてくださった言葉がとても印象に残っています。「それまで経験の無かった仕事に転職したその方が、会社を辞める同期に伝えてくれた言葉でした。

 「何をするのもそうだが、如何に他人より真剣に取り組むか、思い入れるか、チャレンジするかで自分自身の質量を増やせばブラックホールと同じで、周りを自分の渦に引きずり込めることが最近分かってきた。」
 「いつもの笑顔で周囲の人を幸せにしてあげて下さい。他人を幸せにすることが自分を幸せにすることだと思います。」

重さのあるものは気になるし、気になるから更に重さを感じたりします。
このメールを頂いてから数年経つ今、ふと自分の質量はあれ以来どれだけ増えたのだろうか?と、あらためて考えてしまいました。
体重だけは確実に増えているのだけれど・・・・。
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by sweetflowers | 2005-06-09 09:08 | 日々のあれこれ | Trackback(1) | Comments(0)

意味が無い?

昨日、同じプロジェクトで働いている方から、メッセンジャーが飛んできました。

 「ボーナス貰ったら辞めてやる!」

何事かと思ったら、あまりの忙しさに嫌になってしまったようで、その後「っていうか、釣りのできない人生なんて、意味ないし」と、釣り好きのその人らしい呟きが飛んできました。
その方の本気度はともかく、自分の人生でこれをやらなかったら意味が無い。そう思えるものって私の中ではなんだろう?そんなこと、ふと思ってみたりしたのでした。

先日受けたカウンセリングで、「あなたのエネルギーは人の中にいる方が活かされる」そんなことを言われていたのですが、そのことは思い当たる部分もあり、また抵抗する部分もある、とい
った感じで、数日経った今でもその抵抗は何なんだろうかとじっと探り続けているところです。
確かに人の中で過ごす時、自分の中でわくわくする気持ちがあるのは事実ですが、その反面、面倒だと感じる心もあるのです。何しろ、転入した幼稚園に連れて行かれたその日。両親から離れるのが嫌で、泣きながら幼稚園の庭を突っ切って、帰っていく両親の後を追いかけた、というエピソードを持つ私。同じ幼稚園に3歳下の弟が入園した時も、更には6歳下の妹が入園した時も園長先生から「お姉ちゃんの時は大変だった」と話され、恥ずかしかったと後で母が言っていましたが・・・・。(だって、嫌だったんだもん)そんな人見知りの子供時代を過ごした自分がまだどこかにいるようで、ふとした時に異様に臆病な自分が出てきたり、あるいは周囲の気持ちを気にするあまり疲れてしまったり、そんな面倒さが自分の中で抵抗感を生み出していることにも気が付いてはいたのです。

ただ、その面倒さを引き受けていく覚悟をしない限りは自分の中の抵抗感は消えていかないだろうし、本当に自分を活かしていく人生にはなり得ないのだろうな。そんなことに思いが到りだしたところです。

これをやらなかった意味が無い。

それは趣味かもしれないし、仕事かもしれないし、あるいは生活していく日々の中で心がけていくことかもしれない。私のように抵抗感を感じるものを敢えて追いかけていくことかもしれない。でも、それが教えてくれる満足度で人生の体積を増やしていけたらな、と感じています。そうすれば、勢いよく転がっていけそうだしね。
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by sweetflowers | 2005-06-07 10:43 | 日々のあれこれ | Trackback | Comments(0)

受け止めること

今日の午前中に、少し前に友人から強力にお奨め!された方のところへカウンセリングを受けに行ってまいりました。(最近このパターンばっかりだわ)
相談したのは、今後の自分の方向性についてだったのですが、ある言葉に自分の中が強烈に揺さぶられる体験をしてきました。

それは、私がふと「たまたま周りの方に恵まれてきました」と話したところ、「たまたま人に恵まれるなんて絶対にないんですよ。周囲の方からたくさんのものを貰ってるんですよ」と言われた途端、自分の深いところからどうしようもないものが浮かび上がってきたのです。本当に「ぐわっ」という表現がぴったりなほど強く、しかも唐突に出てきたのですが、それは表現するならこんな言葉でした。

 こんなにたくさん周りから貰って、
 でも、自分にはとてもそれを全て受け止めるだけの器も無いし、
 力もないのに、
 申し訳ない。

そうか、自分はそんなことを思っていたのか。そんなこと思って、苦しかったんだ。

ところで、そんなことを話す私に対して、1つのアドヴァイスを頂きました。

 「受け止めれば受け止めるほど器は大きくなるの。受け止めないと器は大きくならないわ。そしてそれでも受け止めきれなかったら、溢れさせちゃえばいいの。そしてそれを周りの人に流しちゃっていいのよ」

自分ひとりで受け取れないと申し訳なく思うだなんて、なんて贅沢なことだろう。
そしてなんと恵まれていることか。
なのに何を恐れているんだろう?

1時間30分ほどの時間でしたが、「もう一度自分の今いる場所に感謝をしつつ、本来自分の持っているエネルギーパターンに相応しい方向にスムーズにシフトしていきたい。」そんな気持ちをしっかりと自分の中に根付かせてくれた貴重な時間を経験できたように感じています。

ああ、本当に周囲に感謝しなくちゃだわ。
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by sweetflowers | 2005-06-05 01:22 | 日々のあれこれ | Trackback | Comments(2)

お母さんのアイシャドー

「キャラリリー」というフラワーエッセンスがあります。
これは、自分の性に関してなじめなかったり、あるいは女性なのに男性のように育てられた(またはその逆)方が、自分の性をしっかりと受け入れていくことをサポートしてくれるエッセンスです。半月ほど前から、思うところあってこのエッセンスを飲み始めました。

私には弟が一人いるのですが、そのおとなしい性質に「長男」としての物足りなさを両親は感じることがあったように思います。そして、なんとなく私自身もそう感じていて、自分の中で「長男」としての役割を肩代わりできるのではないか?そう感じたことがあったなぁ、とふと思い出したのが飲み始めたきっかけでした。

ところでやはり半月ほど前にある出来事を思い出しました。

私の母は普段彼女の言う「身だしなみ」程度の化粧をします。それは眉の薄さをカバーする為のアイブロウであったり、しみを隠す為のファンデーションだったり、色の悪さをカバーする為の口紅だったりします。でも、昔、家に帰ってきた母が「こんなのされちゃったのよ」と言いながら見せてくれたのが、まぶたに塗られたアイシャドーでした。
知り合いのお店で塗られたアイシャドーはほんのりとゴールドが入ったベージュのグラデーションで、子供ながら「きれいだな」と思って見つめていたことを思い出したのでした。口ではそう言いながらも、なんとなく浮き立つ母の心が伝わって来たのを覚えています。
それから「母」と「アイシャドー」に関する出来事がいくつか思い出されましたが、それは「アイシャドーなんかしちゃって」的な発言の数々で、あまり好ましく思っていないシチュエーションばかり、なのでした。

さて、お絵かきが大好きな子供だった私は、「アイシャドー」が好きな大人になりました。綺麗な色合わせをみると、子供の頃に感じたように心が浮き立ってくるのです。にもかかわらず、先日はっと気が付いたことがありました。
普段、私は男性の多い職場で働いていますが、本当に仕事が切羽詰った時にメイクをしている自分にふと後ろめたさを感じたのでした。「そんな時間があるなんて、大変だって言いながらまだ余裕があるんじゃないの?」そう思われることを恐れていたのでした。(だって、男性に比べたら、圧倒的に朝の身支度に時間が掛かっている訳ですから)

思えば母だって「装う」ことが嫌いなわけではなく、むしろ好きだったのだと思います。結婚前に大きな花柄のワンピースを着て笑っている母の写真がありました。「お母さんだって昔は結構おしゃれだったのよ」と自慢げに話す母。ただ結婚後の大変だった毎日の中で、それを自分に許すことが母にはできなかったのだろうと思います。そして母の感じたメッセージは確実に私にも伝わっていたことを改めて感じたのでした。

「装う」ことはとても贅沢な時間だと、以前から考えておりました。それゆえに自分にそれを許すことも大切だとも感じています。
女性として生きていくことのベースを母からたくさん受け継いできました。そしてそれは決して否定的なものばかりではないことも、たくさんの思い出が教えてくれます。自分の周りに浮き立つメッセージを読み取って、不要なメッセージをひとつひとつ、手放していけたらと改めて感じているこの頃です。
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by sweetflowers | 2005-06-01 09:38 | フラワーエッセンス | Trackback | Comments(0)