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足るを知る

美容院で出された雑誌の中に、ジャーナリストである櫻井よしこさんのインタビュー記事が載っていました。インタビュアーからの「上品さとは?」という問いに対して、「足るを知るということでしょうか」という彼女の答えが目に入りました。そして「足るを知っているからこそ生まれるゆとりが上品さである」という文章も。

「足るを知る」という言葉がとても心に残り、その言葉を生み出した私たち日本人は、やはりとても豊かな精神性を持った民族なのだろうなぁ、と感じました。
今現在自分の持っているものを充分に慈しみ、必要なものが充分に与えられているという感覚を誰かに与えてもらうものではなく、自分の中から深い実感を伴って現れた時に、「足る」を知ることができるのだろうと思います。その感覚を味わうにはどうしたらいいのだろう?そう思った時に、「あれが足りない、これが足りない」と怒りながら物を持っていくのは止めたいな、と感じました。

ところで、この「足るを知る」という言葉に対して浮かんできたエッセンスが「バターカップ」のエッセンスでした。自分を過小評価してしまうような場合に、人があるがままの状態で価値があることを教えてくれるエッセンスですが、そのあるがままの中に光を見出していくイメージが私の中で繋がったように思えます。

今のままで充分であること。今のままでできることが充分にあること。

それに気が付くことで、今いるところにとどまるのではなく、むしろ自信とゆとりを持って前に進んでいけるのだろうと感じたのでした。
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by sweetflowers | 2005-07-31 22:31 | フラワーエッセンス | Trackback | Comments(0)

エジソンの電球

最近、ちょっと気になったお話。

エジソンが電球を発明するのにたくさんの失敗を繰り返したことは有名なお話。その努力を支えたのは、自分が電球を発明したとしたら、その恩恵にどれだけの人が預かれるのか、ということを彼は明確に構想していたそうだ。(それについてのエジソンの手記があるらしい)

もし、その発明をエジソンが途中で諦めてしまっていたら、どうなっていただろう?それは単なるアイディアの無駄ではなく、発明がもたらしてであろうたくさんの恩恵(それは今電球を使っている私たちまでにも影響する)も受け取る機会が失われていたということだ。

そしてこの話を聞いたとき、私たちが普段行っていることは決して小さなことではないのだろうな、と感じた。私たちは時間という流れの中に存在しているから、今行ったことが後に必ず繋がっているように私は感じている。だからこそ、今自分が行った些細なことでも、その先にたくさんの可能性が繋がっているように思えるのだ。

ところで、最近またセントーリのエッセンスが気になっていて、ここしばらく寝る前に飲んでいる。「セントーリ」のエッセンスは、ノーといえずに奉仕しすぎてしまう方へのエッセンスだけれど、今の私は自分が本来自分の人生でするべきことをしていけるようにと願って、このエッセンスをのんでいる。

私たちそれぞれが、本来その人生でやるべきことをやっていくことはとても大切だと最近しみじみと実感している。もしそうしなければ、それをやらなかった自分だけではなく、自分がそうすることで与えることができた何かを人に与えていく機会が失われていくのだと思う。それは自分が思っている以上に大きな損失だと今更ながら気が付いたのだ。例えば私がAさんに親切にしたとして、Aさんは嬉しくてお友達のBさんに素敵な笑顔を見せるかもしれない。HAPPYになったBさんは、他の人に丁寧に接するかもしれない。丁寧に接しられた誰かは、そのまた誰かの・・・。そんな風にして繋がっていく可能性があるのだから、「私たちは自分の可能性を追及していく責任がある」とさえ思い始めている私なのだ。

とはいえ、面倒くさくなったり、怖気づいたりとお尻が重くなる理由はいくらでも思い付く私なので、せめて背中を押してもらえる事を願ってセントーリのエッセンスを飲んでいたりする。(できれば蹴っ飛ばしてもらいたいくらい!?)
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by sweetflowers | 2005-07-26 23:10 | フラワーエッセンス | Trackback | Comments(3)

物を持つこと

今日はお友達の虹花さんがラブランドさんで行った「女神のアバンダンスヒーリング」を受けて参りました。あまり良く内容も把握せずに申し込んだ私。「来たーーーーーーー!」という直感をそのまま信じて受けたけど、やっぱり来ていたようです。(笑)
「アバンダンス」は私のテーマの一つだな、と半年ほど前から感じてはいたのですが、それをどう自分の中に取り入れて表現していったらいいのか、という方向性が随分と見えてきたように感じています。

ところで、シルバーアーチのイベントで作成したキャンドルを持っている方から、先日「まだ使ってないんです」というお話を頂きました。(2ヶ月以上経つというのに!)「とっても香りが良くって、手に持つとほっとするんです」と仰っていただき、「ええぇぇ?使ってあげてくださいよぉ」と答えつつ、「なんて幸せなキャンドルなんだろう」と親ばか気分で思ってしまいました。1つ1つ手にとって、キャンドルに託したメッセージを受け取ってもらえているのだろうな、と思うと夜中にめげそうになりながらも(何せ70個程あったので・・・)作業をした甲斐があったなー、としみじみ。職人さんはきっと毎日そんな気持ちで物を生み出していくのだろうなぁ、と感じました。

「物を持つ」ということは「心を込めて扱う」という責任を同時に手にしているのだろうと思います。でも、「物を大切に扱う」というのは、面倒くさがり屋の私にはとっても大変に感じることが多々あります。せめて物を少なくすることで、自分が丁寧に扱える範囲を超えないようにと思いつつ、気が付くと物が溢れていたり。

心を込めて丁寧に扱う。その範囲が広がっていく中で、自分が受け取れる豊かさも広がっていくのではないかしら?

私は今、そんな風に感じています。
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by sweetflowers | 2005-07-25 00:10 | 日々のあれこれ | Trackback | Comments(2)

夢の中

ある雑誌の中から、「私、夢中でアナウンサーしてるんですよ」という文章が目に飛び込んできた。TBSのアナウンサー、小林麻耶さんのインタビュー記事だった。テレビの中で時折見かけるくらいの彼女のその言葉が、なんだかとても新鮮だった。

 「夢中でアナウンサーする」

その言葉はとってもスピード感に溢れていて、勢いが感じられたのだ。

ふと、自分の毎日の中でこの言葉が自然と出てくる時間がどれくらいあるのだろう?と思ってしまった。そんなことばが自然と出てくる日々が過ごせたら、本当にわくわくするだろうな、と思う。

ところで、彼女がその言葉をある方に話したときに、こんな答えが返ってきたと言う。

 「それはええなぁ、夢中なんや。夢中っていうのはな、字のごとく夢の中におるんやで。だからつらかったり悲しくて涙を流したとしても、それは夢の中というこっちゃなぁ」

夢の中にいるなんて、なんだかふわふわしていると思っていたけれど、とてもヴィヴィットなものなのかもしれない。喜びも悲しみも楽しみもつらさも。全てを受け止めて、走り抜けていけるのかもしれない。ならば、私も夢の中で生きていきたい。そんな風に感じている。
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by sweetflowers | 2005-07-23 23:22 | 日々のあれこれ | Trackback | Comments(0)

ワールドグランプリ

母が学生の頃から続けている影響もあって、バレーボールが子供の頃から好きでした。丁度今、女子バレーのワールドグランプリが開かれているので、時間の合う限りテレビで観戦していますが、昨日の試合は残念だったなー。逆転負け。個人的には高橋選手が好きなのですが、ずっと見続けていくと、各選手の変化を見ていけるところも、スポーツ観戦の面白いところだなぁ、と感じています。

ところで、そのバレーボール好きの母が先日テレビで試合を観ながら「セッターは体も手首も柔らかくないと駄目なんだよね」と、呟いておりました。レシーバーから上がって来るボールはいつもジャストな位置に返って来るわけでは勿論無く、限りなく低い位置に体を滑り込ませて自由自在にトスを上げていくには、確かにその二つは重要だろうなぁ、と思います。

ところで、全日本のセッター竹下さんはとても小柄で、テクニカルタイム時など全員が集まっているような場面では、テレビ画面に映らないくらいに選手としては小柄ですが、その体の柔らかさとジャンプ力で自由自在にトスを回していきます。本人の持つ能力の素晴らしさと、毎日のトレーニングの結果なのだろうなと思います。そしてどんな場面でもその能力を最大限に引き出していけるようにしてくれるのが、経験というものなのでしょうね。

私自身も心の柔軟さを保てるように、日々の出来事を経験として重ねていけるようになりたいと、選手を見ていて励まされる思いです。

今日の19時からはいよいよ最終戦です。中国は強敵ではありますが、萎縮することなく自由自在に動き回る日本選手を是非観たい!と思っています。
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by sweetflowers | 2005-07-18 10:01 | 日々のあれこれ | Trackback(1) | Comments(0)

風船が脹らむ直前

ここ数日、精神的にちょっときつい日々が続いておりました。とどめに風邪を引いて3日間ほど寝込んだおかげで(?)どっぷり鬱々とした状態に浸かることができました。
夢うつつの中で自分の中から噴出してきた強い怒りを感じつつ、それでも体は眠いものだから、「ああ、そういう理由で怒っていたのねぇ」とまどろみながら怒りを感じるという珍しい経験もしたりして、自分の中にある様々な感情が、実は自分を象っている事に改めて気が付いた数日間でもありました。

そんな状態をある方にメールで伝えつつ、今更ながら気が付いたことがありました。

それというのも、今年は自分なりに今の状態に変化を起こしたいと思い、意識して変化を起こすような選択をしてきました。それはフラワーエッセンスや先日チャンスがあって受けたオーラソーマのセッションで選んだボトルを使うことだったり、今までやってみたことのないことをやってみたり(それは初めてのお店に入ってみたり、食べたことの無いものを食べてみたり、といった日常のちょっとした「初めて」も含めて)、できるだけ自分の気持ちを優先させるようにしてみたり。そういった色々なことがベースとなって、今「痛み」となって起こって来ているのだということに気が付きました。

小さな頃に、風船を膨らませるのが苦手でした。息を吹き込み続けて、ぷっと風船が脹らむ瞬間。その直前にはなんともいえない不快な痛みが頬や喉に感じられるからなのですが、でもその一瞬を超えた時、本当にあっけないくらいに勢い良く風船は脹らんでいくので、子供ながらに「なんだよ」と思っていたのでした。

今感じている変化は決して心地いいものではないけれど、大きく自分が脹らむ直前のまさにその瞬間にいるのかもしれません。

そして、今回のように自分で意識的にその変化を起こしていくことができるのだと気が付いた時、「なんだ、自分が起こしてたんじゃない」と楽になると同時に、ふと「自分の人生を自分でコントロールしていくというのはこういうことなのかもしれない」と新たな視点をまたひとつ得られたような気がしています。
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by sweetflowers | 2005-07-09 13:41 | 日々のあれこれ | Trackback | Comments(0)