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緑溢れるマント

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インテンシブ・セミナー期間中、最後のカリキュラムとして自分の好きな花を選び、その花を絵を描き、花から感じ取ったメッセージ(アファメーション)をその絵に添える、という時間があります。

皆が各々その課題に取り組む中、私も紙と数本の色鉛筆を手にし、ある場所へと向かっていきました。

そこは素焼きの花びら状の石の上を八の字に水が駆け巡る、敷地内に造られた小さな池の傍らでした。毎朝その池をぐるりと囲み、その日の植物観察が始まる場所でもありました。

そこにいつも存在していたレディスマントルを描こうと、天気の良い午後の光の下、地べたに座りじっと観察を始めます。

花を描くということは、その花の有り様を隅々まで観察することでもあります。カリフォルニアの青い空から注がれる太陽の光は、決して穏やかなものではありませんでした。じりじりと肌が焼けていく感じ。けれどもここの植物たちが普段浴びているその光と同じものを肌で感じることができ、花たちと一緒になれたようで、不思議な高揚感さえ湧き上がってきます。そうしてレディスマントルと波長を合わせて共に過ごす時間の中で、あるメッセージが浮かんできました。

  ひとつの根元から生まれた星の子供達
  その子供達の涙を優しく受け止め
  その滴をまた
  豊かな大地へと還していきます

「レディのマント」と称されるその緩やかに波打つ葉には、毎朝朝露が溜まっていました。正直を言うと、私はあまりレディスマントルに対して興味がなかったのです。けれども、私たちが毎朝集うその場で、その植物はひっそりと傍に佇み、私たちと共にその時間を過ごしていたのでした。私たちが学び、癒され、喜びに溢れるその時間を。

FESではレディスマントルのエッセンスを「植物やその他の自然界の物質に携わる人、ヒーラーの為のエッセンス」と表現しています。

セミナーの最後にレディスマントルと過ごしたことは、私がその地に足を運んだ意味をじっくりと自分の中に降ろしていく、そんな時間でもあったように感じています。
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by sweetflowers | 2007-11-23 16:50 | インテンシィブセミナー | Trackback | Comments(2)

大掃除の季節

もうすぐ12月。早いものですね、ほんとに。

この位の時期なると、我が家では大掃除モードに入ります。ちょっと早いといえば早いのですが、来年辺りお引越ししたいなーという野望(?)を密かに抱いている今年の私は、その辺りも見据えていらないものの処分を始めました。

と言っても根気のない私なので、進捗は遅めでしかも大雑把。あまり「やってます!」などと宣言できる感じではないのですが、毎年自分なりに「これって来年の自分に必要かなー?」という目線で整理しています。

今日は以前から気になっていたローチェスとの引出しの中が整理できたので、ちょっとすっきりしました。整理する時はいつも中に入っているものを全部一旦外に出します。そして使うものや残しておきたいものを再度入れなおす、というやり方。で、すっきりするんですけど、何故か行き場のないものが外に残るのが間抜けなところです。

どうにかしないと、これ。
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by sweetflowers | 2007-11-18 17:41 | 日々のあれこれ | Trackback | Comments(0)

空高く枝を伸ばすニレの木

ここしばらく、喉に違和感を覚えながら過ごしていました。原因は分からないけれど、何かストレスを喉に抱えていることは分かっていて、さて、一体なんだろう?と思っていました。

私は子供の頃から、例えばクラスで何か係りを担当させられたり、あるいは発表したりといった人前に出されることが多かったのです。けれども決して積極的な子供ではなく、人見知りの激しい内弁慶な子供でした。そんな子供でしたから、何かの係りをやるにしても「この子の良い面を伸ばそう」と考える先生から頼まれてやることが多く、嫌だと思いながら(時には怒りさえも感じながらも)断ることさえもできずにとりあえずは引き受ける、そんな感じでした。

なので、上手くやれる筈もなく、そんなことを重ねていく中でいつしか私は自分のことを「ニセモノ」だとどこかで感じるようになっていたように思います。期待に応えられない自分。それはどこか満たされないものでもありました。

そうして喉の違和感に意識を合わせた時に、私は自由にのびのびと自分本来の力を表現することを恐れているのだと感じました。

ところで友人でもある東さんの著書「バッチフラワー花と錬金術」から、エルム(オウシュウニレ)に関する記述を少し抜粋致します。

「老いたエルムは幹の内部に空洞ができます。内側から腐っていくためです。見た目は堂々として立派なエルムも、その内部は病んでいることがしばしばです。(中略)古くは、エルムの木から火を得たといいます。高木になるので雷が落ちやすい上に、空洞となった幹の内側には木屑があって、そこに火がつくと燃え上がるのです。(中略)しかし、エルムはただ燃え尽きるのではなく、その火は多くの人々に利用されてきました。たとえ自分は燃え尽きたとしても、エルムは人の役に立ちたいと願っているのかもしれません。」

人が本来の資質を持ってこの世界に役立とうとする時、同時に自分の中を満たすことが欠かせないのだとも思います。自分を労わりながら、時には自分を守りつつ、その上で今の自分ができることを喜んで提供していく。そんな資質をエルムのエッセンスはサポートしてくれるのだと感じます。
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by sweetflowers | 2007-11-17 14:26 | フラワーエッセンス | Trackback | Comments(0)

行為と意図

7月頃、仕事で本当に忙しくて、土日も余りお休みできなかった頃。同じプロジェクトの別チームメンバーが差し入れに来てくれた時の事。

かなり切羽詰った様子の私をみた人が「怒っているのかな?」と思って声をかけられなかったと後から聞きました。「怒ってないですよぉ」と笑って答えたものの、「なんでそんな風に思われたんだろう?」とちょっと気になっていました。

それから随分経った最近、「あ、やっぱり私怒っていたわ」とふと気が付いたのです。

スケジュール的に切羽詰っていたのは確かなんですが、それと共に自分に割り当てられている以上のことをやらざる得ない状況になっていて、そのことが私を苛立たせていたのでした。自分では表に出していないつもりでも、私の動く様にはそれが現れていたのでしょうね、きっと。

ある行為をする時に、その行為にどんな意図が込められているのかを私はあまり意識していなかったなぁ、と思いました。そしてまた不思議なことに、行為はその行為を行わせた「意図」を増幅させてもいくのですね。「イライラした気持ち」で行った行為は、更にイライラした気持ちを私の中に増やしていたように思います。

普段の行動って、侮れないですね。
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by sweetflowers | 2007-11-10 21:13 | 日々のあれこれ | Trackback | Comments(0)

まっすぐな木

エネルギーを流しましょう、ということで、その人の足首に触れた。その瞬間、まっすぐ天へと伸びていく大きな木のイメージが浮かび上がる。そのすっきりとした様に、すっと肩の力が抜けるようだった。

なんて素直で、まっすぐな人なんだろう。

それからもう少し様子を見ていると、とても大きな木なのになんとなく根を張ることをためらっているような感じも受ける。

もしかしたら、自分の位置をどう取ろうとしているのか迷っているのかもしれない。そんな風に思う。

でもその人の持っている木の性質は、とても伸びやかで、ふわりと優しい。

だから、安心して根を伸ばして大丈夫。ただただ素直に自分の持っているものを溢れさせているだけでいい。

そして、そんなその人を見るだけで、顔を上にあげて佇む素直さを思い出させてくれるのだと思う。
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by sweetflowers | 2007-11-07 22:22 | 日々のあれこれ | Trackback | Comments(0)