エジソンの電球

最近、ちょっと気になったお話。

エジソンが電球を発明するのにたくさんの失敗を繰り返したことは有名なお話。その努力を支えたのは、自分が電球を発明したとしたら、その恩恵にどれだけの人が預かれるのか、ということを彼は明確に構想していたそうだ。(それについてのエジソンの手記があるらしい)

もし、その発明をエジソンが途中で諦めてしまっていたら、どうなっていただろう?それは単なるアイディアの無駄ではなく、発明がもたらしてであろうたくさんの恩恵(それは今電球を使っている私たちまでにも影響する)も受け取る機会が失われていたということだ。

そしてこの話を聞いたとき、私たちが普段行っていることは決して小さなことではないのだろうな、と感じた。私たちは時間という流れの中に存在しているから、今行ったことが後に必ず繋がっているように私は感じている。だからこそ、今自分が行った些細なことでも、その先にたくさんの可能性が繋がっているように思えるのだ。

ところで、最近またセントーリのエッセンスが気になっていて、ここしばらく寝る前に飲んでいる。「セントーリ」のエッセンスは、ノーといえずに奉仕しすぎてしまう方へのエッセンスだけれど、今の私は自分が本来自分の人生でするべきことをしていけるようにと願って、このエッセンスをのんでいる。

私たちそれぞれが、本来その人生でやるべきことをやっていくことはとても大切だと最近しみじみと実感している。もしそうしなければ、それをやらなかった自分だけではなく、自分がそうすることで与えることができた何かを人に与えていく機会が失われていくのだと思う。それは自分が思っている以上に大きな損失だと今更ながら気が付いたのだ。例えば私がAさんに親切にしたとして、Aさんは嬉しくてお友達のBさんに素敵な笑顔を見せるかもしれない。HAPPYになったBさんは、他の人に丁寧に接するかもしれない。丁寧に接しられた誰かは、そのまた誰かの・・・。そんな風にして繋がっていく可能性があるのだから、「私たちは自分の可能性を追及していく責任がある」とさえ思い始めている私なのだ。

とはいえ、面倒くさくなったり、怖気づいたりとお尻が重くなる理由はいくらでも思い付く私なので、せめて背中を押してもらえる事を願ってセントーリのエッセンスを飲んでいたりする。(できれば蹴っ飛ばしてもらいたいくらい!?)
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by sweetflowers | 2005-07-26 23:10 | フラワーエッセンス
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